グアム旅行のおすすめ情報です。

グアム旅行ナビ
Loading

グアム旅行のおすすめ情報

グアムの歴史

一大リゾートアイランドとして世界中の人々に愛されるグアム。マリアナ諸島の中心的存在のこの島は、一体どんな歴史を経てきたのでしょうか。

グアムが歩んできた歴史をご紹介します。

 

先住民・チャモロ人
「チャモロ」というワードは、グアム滞在中に何度も耳にすると思います。このチャモロとは、グアムの先住民・チャモロ人を指します。チャモロ人の祖先がグアムに渡ってきたのは今から3000年前、まだ紀元前の頃です。フィリピンやインドネシアなど東南アジアの地域から小さな舟を漕いで、グアムにたどり着き定住したといわれています。

その後、冒険家・マゼランがマリアナ諸島を発見したことでグアムの存在はヨーロッパ諸国の知るところとなり、1565年からはスペインの植民地となりました。

スペイン人宣教師によるキリスト教の布教活動が進むにつれ、スペインはチャモロ人の伝統的な風習や文化を禁止しました。それを不満とするチャモロ人との間で大規模な争いが起こり、弾圧によってチャモロ人は激減したと伝えられています。

 

長く続いたスペイン統治、その後はアメリカ領に
1898年、300年以上続いたスペイン統治が終わりを迎えました。以降グアムは、米西戦争(アメリカとスペインの戦争)に勝利したアメリカの領土になりました。アメリカの統治は46年間続きましたが、アメリカもスペインと同じくチャモロの風習・文化を封印し、アメリカ化を図りました。

その後、第1次世界大戦が終結すると、ベルサイユ条約によってグアム近隣の北マリアナ諸島(サイパンやテニアンなど)が日本の委託統治領となり、多くの日本人が北マリアナに移り住みます。日本人にとってグアムがグッと身近な存在になったのは、この頃のことです。

 

太平洋戦争の激戦地
1945年12月、日本軍の真珠湾への奇襲攻撃を機に太平洋戦争が勃発。日本軍は真珠湾攻撃のわずか数時間後にはアメリカ軍が駐屯しているグアムへの攻撃を開始し、占領します。その後、アメリカが奪還するまでの2年7か月間、グアムは日本の領土となりました。

日本までの距離が2500kmほどしかないグアムは、日米両国にとって勝敗の行方を左右する要所です。上陸した日本軍は、来るべきアメリカ軍との戦闘に備え、頑強な守備要塞を築いたといいます。

1944年7月、サイパンでの戦いに勝利したアメリカ軍がグアムに上陸し、日米両軍の間で激しい戦闘が繰り広げられました。その攻防は凄惨を極め、両国の軍人・軍属だけでなく多くの一般市民も犠牲になりました。

翌8月には組織的戦闘が終結し、アメリカ軍は悲願のグアム奪還を果たしました。その後、日本本土への爆撃拠点となりました。

戦後はアメリカの信託統治領を経て、アメリカの準州となったグアムは、現在も大規模な米軍基地があり、太平洋地域の軍事拠点としての機能を持っています。

その一方で、アメリカ本土や日本からの観光客が多いリゾート地として発展しました。近年は中国からの観光客も爆発的に増加しています。

作成日:2014/06/30